2025年12月19日金曜日

" 1年生は「やわらかい」・・・ "というお話

12月19日(金)。

午後の体育館。











1年生のおともだちが・・・

「マット運動あそび」をしていたんです。









見ていてね・・・

びっくりしたんです。


「ゆりかご」をするとね・・・

足が反対側に「にゅー」っとのびて・・・

向こう側に一回転しそうになるんです。











ブリッジをしてトンネルをつくるとね・・・

その中を「はいはい」でくぐっていけるんです。

そのトンネルはね・・・

まるでアルファベットの「O」の字のようで・・・

ちょっとおとなにはまねができそうにないんです。









「おお・・・」と感嘆の声をあげながら・・・

思っていたんです。


" やっぱり・・・

 1年生の身体って・・・

 こんなにもやわらかいんだな。"って。









そして・・・思うんです。


" 1年生がやわらかいのは・・・

 身体だけじゃあないんだ。"って。













なかまを支えようとする手も・・・








みんなでならんで待つ空気も・・・








協力しあって・・・

決して軽くないマットを運ぶために・・・

あわせるこころも・・・










おなじことを考えているのか・・・

思わずがシンクロしちゃう応援のすがたも・・・










みんなみんな やわらかいんだっていうことに・・・

つくづく気がつくんです。











おとなはね・・・

おとなの都合で・・・

このやわらかさを・・・

かっちかちのがんじがらめになんか・・・

しちゃいけないんです。









「どうしてわかんないの・・・?」だとか・・・

「おそすぎ!」だとか・・・

「言ったじゃん・・・!」だとか・・・

そんなことばを投げかけたって・・・

それは・・・

子どもたちの「やわらかさ」を・・・

奪っていくだけにすぎないんです。










ふわふわしたこころで・・・

あたたかなまなざしで・・・

染み込むようなことばで・・・

この「やわらかさ」と「柔軟さ」を・・・

すくすく伸ばしてやればよいんです。









大丈夫。

子どもたちはわかっています。


" ここは真剣に聞くときだな。"ってときを。

" ここは気合いを入れるときだな。"ってときを。









子どもたちは伸びていきます。

すべてを力にかえていく・・・

そんな「やわらかさ」で伸びていくんです。




" 1年生は「やわらかい」・・・ "というお話でした。

2025年12月18日木曜日

" 5年生 「倉吉いか」のように・・・ "というお話

12月18日(木)。

午後の多目的室。











5年生のおともだちが・・・

「倉吉いかづくり」の名人をお招きして・・・

「倉吉いか」を作ったんです。








お正月の風物詩・・・たこあげ。

もともと この「たこ」には長い足がついていて・・・

そのすがたから・・・

「いかのぼり」って言われて・・・

江戸時代には大ブームだったのだそう。

(そういえば・・・「いか」みたいだもんね。)








*「いか」の足は10本あるって言われているけれど、そのうちの2本はとっても長くって、「触腕(しょくわん)」って言うの。この「触腕」は食事のときにごはんをつかまえるための長い腕なんだよ。知ってた・・・?「いかのぼり」は、長い足がこの「触腕」に似ていたことからきっとそう呼ばれたんだよね。










ところがね・・・

あまりにブームになっちゃったものだから・・・

あっちこっちで・・・

糸がからまっちゃったり・・・

場所の取り合いになっちゃったりして・・・

大げんかになったり・・・








道を歩いているひとの頭におっこちて・・・

たんこぶができたり・・・

よそのおうちにおっこちて・・・

こそこそとお庭にとりに入ったり・・・

屋根に乗っかっちゃってとれなくなったりして・・・

大問題になったんだって。











それでね・・・

「あちこちのまちで・・・

「いかのぼり禁止令」がだされちゃったんだって。












でも・・・

よほど「いかのぼり」がたのしかったんだろうね。

そのうちね・・・

まちのひとたちの中には・・・

「いかのぼり」の足を8本にふやして・・・

「これは『いか』ではなくって・・・

 『たこ』です・・・

 足を数えてみてください。」って・・・

そんな「へりくつ」の一点張りで・・・

堂々と「たこあげ」をしてたのしんだらしいよ。









・・・っていうわけでね・・・

まちのひとたちの・・・

そんな冗談みたいな「とんち」から・・・

今でも「たこ」があげられているっていうわけ。

(諸説あります。)










「倉吉いか」はね・・・

そんな紆余曲折のあった・・・

時代のうねりの中にあっても・・・

そのすがたや技術 そして呼び名は・・・

脈々と・・・

ひとからひとへ・・・

時代を越えて受け継がれてきたんです。













大空にあがった「倉吉いか」と・・・

それを見上げる5年生を見つめながら・・・

思っていたんです。










" 「伝統」だとか・・・

 「文化」だとかって・・・

 流れゆくときをこえて・・・

 まるでリレーのバトンのように・・・

 ひとからひとへ・・・

 受け継がれていくものなんだ。"って。









" そして今日・・・

打吹小学校の5年生のみんなは・・・

そんなたいせつなバトンを握る・・・

走者のひとりとなったんだ。"って。









そして・・・

" きみたちのこれからの人生が・・・

 この「倉吉いか」のように・・・

 「上へ上へ」と・・・

 上がってくものでありますように。"って。












" 5年生・・・

 「倉吉いか」のように・・・ "というお話でした。






ようし・・・

今夜は・・・

「たこ」の唐揚げと・・・

「いか」のおさしみでも食べながら・・・

おいしいものを飲もっと。


2025年12月16日火曜日

" 6年生 黙々と・・・"というお話

12月16日(火)。

4校時の校舎内。










あちらこちらで・・・

6年生のすがたが見られたんです。









家庭科「クリーン作戦」。

日々のそうじでは・・・

することのない作業や場所を・・・

自分たちで見つけて・・・

きれいにいしようっていうおべんきょう。









ただね・・・

一生けんめいに働いている・・・

6年生のみんなに声をかけると・・・









おべんきょうのためだけに・・・

やってるんじゃあないんだっていうことが・・・

ようくわかる声が・・・

つぎつぎとかえってきたんです。


「当然です。」って。








「ここには・・・

 ほこりがたまりやすいはずだから。」って。









「冷たいけど大丈夫です・」って。

(きっと ぎりぎりだよね・・・

 冷たくないわけないもん・・・)









「ていねいにこすると落ちるもんですね。」って。









「ふだんできないことをしたいから。」って。









「磨くと ほとんど透明になりました。」って。

(たしかに!)











「校舎にお世話になったのは・・・

 こっちのほうなので・・・」って。










なんだかね・・・

こころなしか・・・

みんながおとなびて見えてね・・・


たのもしく思う一方で・・・

私は思っていたんです。


" 卒業していっちゃう日って・・・

 そう遠くはないんだな・・・"って。







おなじ時間・・・

そんな6年生に守られた・・・

他の学年の教室では・・・









安心しておべんきょうにがんばる・・・

たくさんの顔に出会えたんです。








" 6年生が・・・

 黙々とがんばるそのすがたは・・・

 全校のみんなを支えている。"というお話でした。









ところで・・・

ガラスを透明に磨いてくれた・・・

6年生のおにいさんを・・・

ガラスのこっち側から撮ったこの写真・・・


お顔はおにいさんで・・・

身体は私という不思議な写真になったんです。

(透明だからだって思うんです。)

(プチアートだね・・・。)










6年生のみんな・・・

ほんとにありがとう。

2025年12月15日月曜日

" 「終わりよければすべてよし」の「終わり」"のお話

12月の全校朝会のことです。

あの朝 私はね・・・

全校のみんなにお話したんです。











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12月に入ったね。

2学期の終わりがちかづいてきたね。

2025年の終わりでもあるんだよね。










ところでね・・・

「終わりよければすべてよし」ってことば知ってる?









ものごとの途中・・・

少々うまくいかないことがあっても・・・

最後がよければ・・・

全体として「オーライ」なんだっていう・・・

そんな意味のことわざだよね。








つまり・・・

「しめくくり」って・・・

とってもたいせつなんだっていうことだよね。











世の中にはね・・・

このことわざを都合よく解釈しちゃってね・・・

途中は ぜんぜん本気を出さなかったり・・・

ふだんは 横着ばかりしたりしておいて・・・

最後の一日だけ真剣にやって・・・









「だから・・・すべてよし!」・・・

なんてことを言ってるひとがいるよ。

おとなのなかにだっている。


 







それって きっと・・・

言い訳なんだよね。









「終わりよければすべてよし」っていうことばは・・・

そんないんちきをするために・・・

あることばなんかじゃあないよね。












でね・・・

覚えておいてほしいと思っているよ。


「終わりよければすべてよし」の「終わり」ってね・・・

きっともう 始まっているんだっていうことを。

************




あれから2週間がたった今日・・・

12月15日(月)。








午後。

3年生が国語のおべんきょうを・・・

一生けんめいにしているすがたを見ていて・・・

思っていたんです。









" このことばが・・・

 ドンピシャであてはまるみんなだな。"って。

" もう しっかりと・・・

 「しめくくり」をしはじめているな。"って。









そしたらですよ・・・

書いてあったんです。

ホワイトボードのすみっこに・・・

「終わりよければすべてよし」って。

(ふちの枠が・・・

 2週間前には書いてくれてたっぽい・・・)











" どうりでな・・・"って思ったんです。








" 「終わりよければすべてよし」の・・・

   ・・・「終わり」"のお話でした。






ところでね・・・

この時間。

「配」という漢字は・・・

どんなことばに使ってあるんだろうって・・・

みんなでさがしていると・・・

つぎつぎと出てきたんです。


「支配」の「配」だとか・・・

「気配」の「配」だとか・・・

「手配」の「配」だとか・・・

(わりと 薄気味悪いことばばかり・・・)







男の子が言ったんです。

「マイコプラズマはいえん」の「はい」ですって。

(きみ おしい!)

(ほんと おしかったぁ・・・)










出されることばは・・・

わりとネガティブなものばかりだったんです><

(ま・・・いいけど・・・)

(みんな ポジティブなひとたちだから・・・)