2024年12月4日水曜日

"「高まりあい」果てしなく・・・"というお話

12月4日(水)。

午前。










6年生の・・・

人権学習をみせてもらったんです。









これまでの・・・

人権学習の時間はもちろん・・・

日常のなかで・・・







「言ってきた自分」と・・・

「実際の自分」とを・・・

交互に鏡に映すような・・・

そんな時間がながれたんです。







みんなはね・・・

気がつくんです。

ふたつの自分に・・・

別人のようなちがいが・・・

うまれてしまうことがあるんだっていうことに。








そのギャップを凝視したんです。

どちらの自分からも・・・

決して目をそらさなかったんです。

どちらの自分も自分だから・・・。








尽きることのない自分語りが・・・

みんなの口から繰り出されていたんです。










時間が経つにつれてね・・・

お話のなかみが・・・

少しずつ・・・少しずつ・・・

かわっていったんです。








「でも・・・かわってきたね。」って。

「なんだか・・・まるくなったね。」って。

「今だから言えるよ・・・

 私たちって ああだったよね。」って。

「やさしくなれたね。」って。







そして・・・

そんなきみのこと・・・

「見ているよ。」って。

「知ってるよ。」って。

「気がついてるよ。」って。

「わかってるからね。」って。







さらに・・・

「やっていこ。」って。

「もっと わかりあえるよね。」って。

「認めあえるよね。」って。

「なかまなんだから。」って。

「いつも みんな・・・

 そばにいるんだから。」って。










このなかまが・・・

そばにいられるのは・・・

卒業までの登校であと59日。








さみしくなんかないんだって思うんです。

みんなは・・・

のこり59日の間に・・・

一生支え合えるようななかまになるんだから。









お話のさいごに・・・

みんなは確認しあったんです。

「だから・・・」って。

「まだまだ・・・まだまだ・・・」って。

「のびていこ。」って。

「もっともっと・・・

 かわっていこう・・・

 私たちがあろうとするすがたに。」って。

「もっともっと・・・

 伝えていこう・・・

 話してあげよう・・・

 だれかが・・・

 あろうとするすがたに・・・

 ちかづいているよっていう事実を。」って。

「うれしいね。うれしいね。」って。








私はね・・・

思っていたんです。

"「よりよいなかまになろうとすること」は・・・

 「よりよい自分になろうとすること」に・・・

ほかならないんだ。"って。










児童玄関前のろうか・・・

きのうみつけた「ありがとうの木」に・・・

きのうよりもずいぶん・・・

葉っぱがしげっていたような気がしたんです。










"「高まりあい」果てしなく・・・"というお話でした。