2024年9月19日木曜日

" 土壌があってこそ・・・"というお話

 9月19日(木)。

ゆうべ 東のそらに見上げた・・・

まんまるの月を思い出しながら・・・

考えていたんです。











きのうの6年生の教室で思っていたこと。








お昼前の教室で・・・

「人権学習」に・・・

澄んだひとみで向き合っていた6年生のこと。


倉吉市役所から・・・

ゲストティーチャーをむかえて実現した・・・

とてもおっきなテーマの「学び」の・・・

そのシーンのひとこまひとこまのこと。










たくさんのことを学んでいたんです。

たくさんの生きたことばで・・・

たくさんの純粋な想いが・・・

彼ら彼女らの口から・・・

つむぐように語られていたんです。








互いに認め合うことのたいせつさ。








「みんなのため」ということは・・・

「自分のため」でもあるということへの気づき。






まちがいを認めることのむずかしさと・・・

それができることの価値。








「自分は・・・

 ひとを傷つける存在であるかもしれない」・・・

そんな勇気ある自覚。








ふと立ち止まって・・・

相手にこころを寄せてみようとする寛容さ。








かなしいことだけれど・・・

世の中に数多ある差別を・・・

するどく見抜こうとする決心。

そして・・・

見抜いたそれらを許すまいとする覚悟。








差別する側・・・差別される側・・・

いずれの側にもなる可能性が・・・

だれにだってあるんだという事実。









そして・・・

「他者の不幸」を・・・

 こころのどこかで・・・

 無意識のうちにほくそ笑んでしまう・・・

 人間が持っているこころの弱さ。









さらに・・・

ほかでもない自分自身も・・・

そんな「こころの弱さ」を持った・・・

人間のひとりであることを理解する・・・

ほろ苦い納得と・・・

そんな自分の弱さに・・・

打ち勝つことのできる強さを持った・・・

自分を目指し続けるんだという決意。











たくさんのたねが・・・

6年生のこころのなかに・・・

蒔かれたんだって思ったんです。








不毛の地に・・・

いくらたねを蒔いても・・・

やっぱりそこは不毛だけれど・・・








よく耕され・・・

栄養が染み込んだ地に蒔かれたたねは・・・

ゆたかな恵みをもたらすんだって思うんです。








で。

私にはわかったんです。


この日学んだことがたねとなって・・・

よく耕され 十分に栄養を蓄えた・・・

土壌としての6年生のこころに・・・

そっと抱かれたんだっていうことを。








" 土壌があってこそ・・・"というお話でした。