*文中の写真は、3月23日のものです。
3月30日(月)。
午後7時50分の校長室。
38年間の教師生活にピリオドを打つにあたって、私は今なおその実感がわいていないんです。そして、そのことを、あっちでもこっちでもお話ししているんです。
そして当然ながら、その実感がわかないままにこの「校長ブログ」を綴っています。
(3月24日のブログで「さようなら」を言ったのにです・・・)
3月27日(金)。
そんな私に奇跡が起こりました。
午後1時すぎ。職員玄関にいたときのことです。
女性がひとり。玄関の扉を開いたときにはすでに涙ぐんでいて、私の目をじいっと見つめたままちかづいてきたのです。
それは「かなこ(仮名)」でした。
「おぼえていらっしゃいますか・・・?」とおそるおそる尋ねる彼女に、「覚えているよ」ってひとこと。
忘れるわけはないのです。
私が教師となってはじめて赴任したのは根雨小学校。4年生を担任した私が卒業までの3年間をいっしょにすごした子どもたちのなかのひとりが「かなこ」だったのです。
どの子にもそれぞれの「育ち」があります。その過程には、たのしいことも、うれしいことも、くるしいことも、かなしいこともあります。いらいらしちゃったり、自分がいやになっちゃったりすることだってあります。
「かなこ」も例外であるはずはありません。
彼女は、私が向き合ってきたそんな子どもたちのなかのひとりだったのです。
出会って3年後の春。
「かなこ」たちは、私のもとから卒業していきました。おなじ春、私は中部に転任したのです。
あれから・・・
その他の子どもたちと同様、「かなこ」のことを忘れたことはなかったけれど、会うこともなく35年の時間が流れました。
その長い時間が「ぴたり」と音を立てて一瞬でとまったのが・・・3月27日だったです。
終始ぽろぽろと涙を流しながら近況を話してくれる彼女の手には、みんなでいっしょに作った卒業文集「銀河」。
そんな時間は10分間ほど。十分ではなかったけれど、35年間を埋めるにはまったく足りていなかったけれど・・・、私には、とても・・・ほんとうにとても必要な時間でした。
彼女が打吹小学校をあとにするとき・・・。
今思えばとても失礼なことをしたのだけれど、なぜか私は彼女のあたまをなでていました。
あのとき私の目の前にいた「かなこ」は・・・
まぎれもなく、最後におわかれをしたときの12歳の「かなこ」だったのです。
今・・・思っています。
あの日・・・
"「かなこ」は私に伝えにきたんじゃないか "って。
「退職するんだっていう実感が・・・
ぜんぜんわかないなぁ」って・・・
そんなことを言って自分をごまかして・・・
くよくよとしそうになる自分が・・・
自分のなかにいるということを・・・
自分が一番よく知っているくせに・・・
そんな自分と向き合おうとしない私に・・・
「山名先生、おつかれさま。」って。
「3月31日には、退職するんだよ。」って。
「前を向かなくちゃ。」って。
「かなこ」はそのことを私に伝えるために・・・
はるばるやってきてくれたんじゃないかって・・・
そう思うんです。
・・・ありがとう「かなこ」。
" 3月27日の奇跡 "という・・・
・・・私の最後のお話でした。
「かなこ」が私の奇跡だったのとおなじように、打吹小学校の子どもたちがこの学校の子どもいてくれたこと、そして、このブログをのぞいてみてくださるみなさんと出会えたこと、これもまた私にとっての奇跡なのです。本当にありがとうございました。
とてもしあわせな38年間でした。
*お願い
「かなこ」さんがだれなのか、たとえお知りになる手段をお持ちであったとしても決してなさることがありませんよう、切にお願い申し上げます。














