ふだん・・・
思っていても・・・
あたりまえすぎて口にしない想いがある。
照れくさくって口にできない想いもある。
言わなくっても・・・
わかってもらえているんだって思い込んじゃって・・・
口にしようともしない想いだってある。
けれど・・・
あたりまえだと思っていることって・・・
なれっこになってるだけで・・・
実は・・・
尊すぎるくらいに尊いことだってあるんだって思う。
照れくさくったって・・・
やっぱり伝えたい想いや・・・
伝えなくっちゃならない想いだってあるんだって思う。
そして・・・
想いってかたちをなしていないから・・・
口にしなければ伝わらない・・・
そんな想いだってあるんだって思う。
11月20日(木)。
打吹小学校のろうか。
そこには・・・
そんな「想い」の数々が掲示されているんです。
子どもたちからおうちのひとへ・・・
食卓につくと・・・
あたりまえのように出される食事への感謝。
おうちのひとから子どもたちへ・・・
お仕事でつかれきってしまった夜・・・
そっとかけてくれるやさしいひとことに・・・
どれだけ癒されているのかという想い。
「ぼくを産んでくれてありがとう」・・・
そんなことをあらたまって言われたら・・・
これを読んだお母さんは・・・
涙をこぼさずにはいられないって思うんです。
「にこーっとしてくれる・・・
その笑顔だけでしあわせだよ。」
そんなことをおうちのひとから言われたら・・・
だれだってその輝きを増してしまうんです。
(「ましまし」ってやつです。)
「このままの自分でいいんだ。」って・・・
そう思えることって・・・
とてもうれしいことなんです。
とても力がわいてくることなんです。
そしてね・・・
ここがとってもたいせつなのだけれど・・・
そんなふうに・・・
「想い」を伝え合う経験を重ねるほどに・・・
ひとはひとに対して・・・
どんどんと・・・
やさしい存在になれちゃうんだって思うんです。
打吹小学校ではね・・・
そんな子どもたちとおうちのひとたちの・・・
「想い」を詰め込んで伝え合う取り組みを・・・
三年間続けてきたんです。
その取り組みのなまえは・・・
「親子でキラリ」。
みんなが「キラリ」と光る・・・
とびきりのことばを・・・
ここで見ることができるんです。
" 口に出して言えないことも・・・
伝わることのたいせつさ・・・
「親子でキラリ」"というお話でした。
きらん!
(きみ・・・)






















