2025年11月17日月曜日

" 子どもは十分がんばっている。 "というお話

「這えば立て立てば歩めの親心」。

子どもの成長を喜び待ちわびる・・・

そんな気持ちを・・・

どんぴしゃで言い表したことば。











ただ・・・

忘れちゃいけない。









ときに・・・

そんな想いがふくらんじゃって・・・

子どもに対して・・・

「もっともっと」と・・・

注文をつけたくなることだってある。









私をふくめておとなは・・・

現状よりもさらなる向上をねがうばかりに・・・

なんだか欲ばりになってしまいがち。












連日・・・

テレビを見ながら宿題をしているすがたに・・・

いらいらがつもる。










思い出してみよう。

ついこの前までは・・・

テレビを見ながらどころか・・・

なんど言っても・・・

宿題をしないことがあったじゃあないか。











おとなの言うことに異議を唱えるそのすがたに・・・

「口ごたえするな。」と・・・

むしゃくしゃした気分になる。











思い出してみよう。

一年前の今頃は・・・

「自分の意志や意見を・・・

 しっかり言える子になってほしい。」って・・・

やきもきしていたじゃあないか。









おとなから見た・・・

子どもの成長の速度や・・・

成長の表れ方は・・・

あるときは遅々として・・・

また あるときはへんてこりんに見えて・・・

私たちを焦りに駆り立てる。










でも・・・

ようく見ると・・・

しかも・・・

ふんわりとしたこころで眺めてみると・・・











その様は・・・

ひとりひとりちがっていて・・・

それでいて・・・

まちがいなくそれぞれの輝きを放っている。










子どもの成長の一コマは・・・

いじいじがくるほどにスローだったり・・・

心配になるほどにぎこちなかったりする。










あるときには・・・

立ち止まったり・・・

よこっちょにそれたり・・・

バックしてるようにすら見えることだってある。











「バック」ひとつとってもそうなのだけれど・・・

それってあくまでも・・・

おとなから見ての「バック」なのだということを・・・

私たちは知らなければならない。












心配ご無用。

彼ら彼女らは・・・

ひたむきに・・・

そして確実に成長している。









たいせつなことは・・・

おとながそれを見つけ・・・

ちょうどよく支えてやれるかどうかだ。


そう。

ちょうどよくなのだ。














11月17日(月)。

朝10時25分スタートで行われた・・・

打吹山クロスカントリー。










そこで見た子どもたちは・・

今この瞬間にも成長の真っただ中にいた。








秋の澄んだ空気をかき分けるように・・・

走っていくみんなの荒い息づかいは・・・

そのことを十二分に物語っていた。










おとなは欲ばっちゃいけない。

無茶を期待しちゃいけない。

ゆったりとして見守らなくちゃいけないときだってある。

子どもは十分にがんばっているんだ。











みんなが通過したあとのクロカンのコース。


だれかが踏んづけた・・・

カメムシの香りをかぎながら・・・

子どもたちが駆け抜けたであろう坂道を・・・

せっせと下りながら・・・

そんなことを考えていた。









" 子どもは十分がんばっている。 "というお話でした。











午前8時すぎ・・・

1年生のおともだちが声をかけてくれた。

なんのまえぶれもなく。


「今日のクロカンがんばります。」って。


彼女のクロカンはすでにはじまっていた。